ガードレールの向こう側

空想と現実の境界線の認識が怪しい人がなんか寝言言ったりする

キセキについて

 “奇跡ってね、そんな簡単に起こるものじゃないのよ

- ( 美坂香里Kanon」作中より )

そう、本当の奇跡ってものはそんなに簡単に起こる/叶うもんじゃない。

今更ですが、夏色キセキの話です。

 

夏色キセキ。1年前の夏アニメであり、どんな作品か細かいところはwikiを参照して頂くとしまして。一言で述べるなら『引越をひかえた一人を含む、仲良し中学生女子四人組の、ひと夏の思い出』を描いた群像劇、とでも申しましょうか。

群像劇、なんて言い方せず普通に物語、でもいいのですけれども。特段「主人公」が一人に定まっている訳ではないですし。それと日常ではなく思い出、という言葉を使ったのは、限りなく現実の生活を描く『日常もの』に近いものの、この作品SF(Science Fictionと言うより、SukosiFusigi、が近い)要素も持ってますし、番外部分に絡んでくる要素でもある故に。

また、属性というか、タグ的に作品の要素を述べるなら、先に述べた「日常もの」「SFもの」の他、「青春物語」とか「成長物語」とか。女の子4人が話の中心で基本的に男が絡んでこない(出ないわけではないが)あたりいわゆる「百合アニメ」と呼ばれるものでもありますし、伊豆半島下田を舞台とした「ご当地アニメ」であり、実在の声優ユニットグループ『スフィア』を前面に押し出した「アイドルアニメ」でもあります。ただまー、下の3つの方は別に知らなくても問題ない。俺は視聴当時下田もスフィアも全然知りませんでしたが十分に楽しめましたし。作画だけでなく作品全体の作り、製作サイドの雰囲気などにも真摯さ、丁寧さが感じられ、過激さは抑え目、頭からっぽにして見れる良質のエンターテイメント作品だと感じました。誰が言ったかこの作品、おっさん向けスルメアニメ、とも。

 

話が大分それました。 

んでキセキです。奇跡の話です。この作品、ネタバレしてもあまり致命的でないというか(ストーリーもの、というより基本的に、日常もの、ですし)むしろ知らない人にはあえてネタバレした方が安心して興味もってもらえんじゃないかと思うしそもそも見てない人が俺のこんな記事なんざ読んでるとは思えないしって、いやつまり以下ネタバレなんですが。えっと。

この作品では不思議な力を持つ神社の『御石様』に願うことによって、「普通は有り得ない」出来事、つまり奇跡がバンバン叶うわけなんですが、それは奇跡であって奇跡でない。現に彼女達は最終話において御石様による奇跡の力を捨ててしまいます。この作品、(御石様の)奇跡によるハッピーエンドを願うだけなら単純に、紗季が引越しませんように、と願いさえすれば良かった。だけどそうしなかった。

彼女達が気づいたからです。

こうして御石様を囲んで、今過ごしている日常そのものが、奇跡なのだと。4人が4人でいられること、それを4人が4人とも心から願っていること、それそのものが奇跡なのだと。自分達の日常は数え切れない奇跡の上に成り立っていて、時には「仕方がない」もあって、それでも奇跡を、キセキという言葉の力を、信じている。同じクラスになって、同じアイドルが好きで、同じ夢を追って。今同じことを願う。離れていても、歩む道は違っていても、これからも。ずっと。

奇跡を起こすのは、ひとが、たいせつな誰かのために、心から願う力なんだよ。

- ( 清水マリコKanon~雪の少女~ p,217」 )

この作品は、奇跡は起こるということを知った少女たちが、奇跡を起こすために、奇跡を信じて行動する、までを描いた物語、だと俺は思うんです。故にこの作品を指して成長物語と呼ぶのも、間違いじゃないっちゃ思うんです、が。番外編である「15回目のナツヤスミ」で明らかとなるこの物語の視点。つまり過去の出来事なんだけど、過去じゃない。(彼女達にとっての)自分達の物語を指して成長物語なんて吹く者はいない。現在進行中の彼女達の人生の、その中の、ひと夏の、思い出、1ページ。記録。

つまり、軌跡です。夏色キセキ

奇跡だけじゃない。奇跡と軌跡をかけて、キセキ。地味に素晴らしいセンスだと驚嘆します。1話目から御石様の力を見せ付けておいて、ミスリードを誘っていた訳なのですから。

 

そんなわけで、4人の夏の奇跡の物語、でなく、4人の夏の軌跡の物語、という視点を持つと、2週目以降、話数の関係上強引な導入の印象が強いアニメ1話でさえ、見えてくるものが変わってきますよ。初見の時の1話目は、まぁ仕方ねぇ。